<質問*落の定義にする質問です。大母が採用されている平修錬苑の「落」の定義と、米庭部の「落」の定義では、少し違いがあるように思います。「落」の二つの定義の解と背景について、明して下さい。

 <答え>米国家庭部の「堕落」の定義は、堕落行為なのか、そうではないのか、明確には、本人も識別できないような微妙な性行為をした場合において、特に祝福二世を少しでも救済してあげようという意図のゆえに、採用されることになったと聞いています。

両者の定義の中心的な用語の違いは、「接触」と「挿入」です。清平修錬苑の「堕落」の定義は、そのような行為を絶対にしないようにという警告の意味で、やや広範囲の性行為が含まれていると解釈することもできます。米国家庭部の「堕落」の定義は、犯してしまった性行為の中でも、堕落行為を少しでも厳密に解釈して、可能であるならば、祝福二世を致命的な「堕落」や「血統を汚してしまった」というレッテルから解放してあげようとする背景があります。

日本の本部家庭部の祝福に関するガイドラインを、1987年に米国の教会本部家庭部の要請を受けて、私が英訳したことがあります。その中では、堕落の定義に関しては、その中心的な内容は、「男性の性器が女性の性器に挿入されたならば、その深さや角度に関係なく、一線を越えた(堕落)と見なす」となっていました。この堕落の定義が、日本と米国の家庭部の昔からの伝統的な定義であったと言って良いと思います。現在の米国家庭部の堕落の定義は、この伝統的な定義を再確認したものと見ることもできます。

絶対に犯してはいけない悪い行為として、指導者の立場で警告する意味では、やや広範囲な意味を持つ清平修錬苑の定義を紹介し、既に犯してしまった悪い行為を審判する立場では、より厳密な定義を採用して、可能であるならば、特に祝福二世の場合は、「堕落」のレッテルから解放してあげるのが良いのではないかと思います。

しかし、自分自身を審判する立場においては、祝福一世の場合は、祝福前に、いわゆる「ヘビーペッティング」(性器の直接的な接触行為)をしてしまった場合には、「自分は堕落していません」「一線を越えてはいません」と言い張るのではなく、「禁止されている堕落行為をしてしまいました。どうか赦してください」と、謙虚に心から悔い改める立場に立てば、神様の愛と赦しと恵みを、一層受けることができるようになると思います。そのように指導してあげることが、望ましいと思います。

大母様・訓母様は、品位を重んじ、慎ましく保守的な韓国女性の文化圈で生活をしてこられたので、語られる御言の中では、特に性生活に関しては、直接的な表現を避けられて、婉曲表現をたくさん使用されています。例えば、「マスターベーション」や「自慰行為」の代わりに、「一人で自分を満足させる」というように婉曲的に語られます。「コンドーム」の代わりに、「男性に付けるもの」と語られたり、「女性の生殖器」の代わりに、神様の啓示に基づいて、「被造世界」と象徴的に表現されることもあります。

ですから、大母様・訓母様の真意は「挿入」ですが、「挿入」という生々しい用語を口にすることを避けられて、より一般的で刺激的でない「触れる」「接触」という用語を採用されたと言っても良いのではないかと思います。そのように解釈すれば、大母様が採用されている清平修錬苑の定義も、米国家庭部の定義も、内容的には全く違いがないことになります。




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