<質問>高で妊娠し無事に健康な子女を出産するためには、やはり件が必要であると講義で聞きました。田先生の場合は、夫人が45才で出産されたと聞きましたが、どのような件を立てられたのですか?

<答え>私たち夫婦は、共に1946年9月生まれで、息子二人と娘二人の合計四人の子供たちがいます。末娘は、1991年7月に、私たち夫婦が、韓国式の数えで45才の時に誕生しました。三番目の子供が生れたのが、1982年ですから、四番目の末娘とは、9年間の年齢差があります。

私たち夫婦は、子供を生む目的で特別な条件を立てたわけではありません。しかし、振り返ってみると、その当時は、他の食口たちよりも、神様のために精誠を尽くし苦労したので、神様が特別に恩恵を与えてくださったと感じています。

その当時の、私のモットーは、「神様を感動させる信仰(を持て)!」でした。カリフォルニア州で博士課程を卒業して、ニュージャージー州のリッジウッドという、素晴らしい公立中高校を持つことで有名な美しい郊外の町に住んで、マンハッタンの国際宗教財団のオフィスで『世界経典』の編集出版プロジェクトを担当し、ベリ-タウンの統一神学校(UTS)で非常勤講師をしていました。

しかし、「氏族メシア」の摂理が到来し、還故郷をしない祝福家庭は、ニューヨーク市内に氏族メシア活動の任地が与えられました。私はくじ引きの結果、ニューヨーク市内でも、犯罪が多いことで有名なブロンクス地区に、任地が決まりました。ごみごみしたニューヨーク市ではなく、美しい郊外に既に住んでいる祝福家庭、特に学校に通う子供たちがいる祝福家庭は、ニューヨーク市内に移転する気配はありませんでした。私が、ブロンクスに転居しようとしたときに、「米国人リーダーの協会長の家庭も、北米総責任者である韓国人リーダーの家庭も、美しい郊外に継続して住んで、動こうとはしないのだから、環境の悪いブロンクスに、わざわざ子供を連れて引っ越す必要はない」と忠告してくれた信仰の友もいました。

しかし、夫婦で話し合った末に、結局、神様の御旨のために、ブロンクスに家族で移転することにしました。麻薬の密売や若者ギャングの犯罪が多いことで有名なブロンクスでしたから、夜になると、大きな公園から銃声が時々聞こえてきました。一番胸が痛かったのは、平日に学校から帰宅後、小学生の息子たちに、自由に伸び伸びと屋外でスポーツをさせられなかったことです。

神様は、私たち夫婦の信仰条件を、小さな条件ではありますが、認めてくださり、妻が40代半ばになり、全く予期していなったのですが、四番目の子女を妊娠し、無事に出産することができるようにして下さいました。ニュージャージー州に住んでいた時に、妻が妊娠していることを知らないで、非常に寒い真冬の朝に、重い電話帳を一軒づづの家に配達するアルバイトをさせて、流産をさせた悲しい思い出がありました。特に、夫として、経済的な貧困のゆえに、子供を一人失った思いがして、恨みが残っていました。しかし、四番目の末娘の誕生は、その恨みを全て溶かし去ってくれました。

私の霊の子女であるKさん(1800双)は、女の子ばかり連続して四人出産しましたが、アフリカで宣教活動をして帰国した後、40代の中盤で妊娠して、念願の男の子を出産しました。やはり、苦労の多いアフリカで御旨に励んだことが、神様を感動させる霊的条件になったのだと思います。清平40日修練会に参加した後、初めて妊娠出産した高齢の祝福夫人の例も、報告されていますが、40代中盤の高齢で健康な子女を出産するためには、まず何らかの霊的な条件が必要であるというのが、私の体験を踏まえた所感です。




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