<質問>敬式の前の晩に夫婦が愛し合ったならば、罪になるのでしょうか?

<答え>『原理講論』では、「罪」に対して、「罪とは、サタンと相対基準を造成して授受作用をなすことができる条件を成立させることによって、天法に違反するようになることをいう。」と説明しています。 結論から言いますと、敬礼式の前の晩に愛し合ったとしても、神様の祝福を受けて正式に家庭出発した祝福夫婦が、愛し合うのですから、愛し合うこと自体は、罪ではありません。正式に家庭出発をした祝福夫婦が愛し合うこと自体は、天法違反にはなりません。

先に紹介したように、『めざそう!天国家庭1:侍る信仰生活』の中でも、敬礼式前日に「聖別しなければならない」とか「聖別すべきである」と強い口調では書かれていません。「聖別をするのが望ましいでしょう」と表現されていて、愛し合うことが「厳しく禁止」されているのではなく、聖別することが、より望ましいと「勧誘」されています。

讒訴条件になるのは、敬礼式の前に夫婦が愛し合うこと自体ではなく、睡眠不足のために敬礼式を無視して実践しなかったり、敬礼式の時間に遅れたり、礼拝の時間に居眠りをすることです。ですから、そのような讒訴される行為をすることがないように、敬礼式の前は、聖別をして、霊的・肉体的な準備をすることが、一番望ましいということです。

そして、良い子を生むためには、御言を精誠を込めて聞いたり読んだりして、御言に感動して、内的心情を聖別した後に、肉体的に愛し合うのが良いという御言もあります。ですから、少しでも良い子を生もうと思えば、安侍日、月初め、教会の名節のそれぞれの敬礼式の前日の晩は、夫婦関係を控えて、翌朝の敬礼式の準備をなすことが望ましいと言えます。そのようにして、翌日の敬礼式や訓読会の時間に、真剣に神様に報告(祈祷)をし、注意深く御言を聞いて、あるいは、熱心に訓読をして、神様の愛の御言に心から感動し感謝して、霊的に充分に満たされ聖別されてから、夫婦が愛し合うことが、一番望ましいと言えます。

一般的に韓国人食口の信仰観と比較すると、日本人食口の信仰観は、律法主義的になる傾向があるようです。個人的には、未婚時代の男女関係の分別生活などについては、日本における信仰生活の指針の方が、厳格で非常にすっきりしていて、素晴らしいと思います。しかし、「こうする方がより望ましい」というような内容であっても、「絶対に、こうしなければならない」と厳格に解釈する傾向が、日本人祝福家庭の信仰生活には、過去には多く見受けられたように思います。

 敬礼式の前の晩に夫婦の愛の行為を避けることについては、律法的に絶対に守るべき天法として解釈する必要はありません。その証拠と言ってよいかどうかは分かりませんが、参考のために関連する逸話を紹介しましょう。

これは日曜日が聖日であった先天時代の話ですが、韓国人の若い祝福二世の牧会者(教会長)が、真のお父様の前で、「説教をする前の土曜日の晩に、夫婦で激烈に美しく二回愛し合って、日曜日に説教をすると、とても素晴らしい説教ができます」と自分の体験を報告したところ、真のお父様は、破顔一笑、顔をほころばせて、にっこりと満足そうに笑われたという話を聞いたことがあります。

若い二世教会長の証しを聞いて、真のお父様は、「土曜日の晩に、なぜ夫婦関係を持ったのか?」と詰問したり、叱りつけたりされてはいません。真のお父様は、敬礼式や訓読会を守ることの重要性については、何度も厳しく強調されて来られました。しかし、敬礼式の前日の晩には、夫婦関係を避けて、聖別しなければならないということを、絶対的に守るべき天法であるとは、一度も話されていません。

しかし、現実的に考えてみると、祝福二世の教会長は立って説教をする説教者なので、夜の睡眠時間が極端に短くても、説教中に居眠りをしたりすることがなかったのであって、座って説教を聞く一般の礼拝参席者の場合は、やはり夜の睡眠時間が極端に短かければ、説教中に居眠りをする可能性が非常に高くなると思います。ですから、敬礼式の前の晩に夫婦が愛し合うことは、罪にはならないとしても、できるならば避けることが望ましいと言えます。

若い元気な新婚夫婦で愛し合うことを避けるのが難しいのであれば、夜遅く愛し合うのではなく、早めにベッドに入って愛し合い、敬礼式や礼拝の前には、充分に睡眠時間を持って、肉体的にも充分に準備をするように配慮することを、お勧めしたいと思います。




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