"/"の部分は、最低でも一つは選択して実践すべきです。全部を実践しても良いです。夫が出勤帰宅する時の妻の送り迎えの態度に関して、真のお父様が日本人婦人たちに対して、1993年の「訪韓修練会」で語って下さった御言を紹介します。

 そして旦那さんが社からってきた場合には、の間にいないで、玄の近くにいて「あなた!」と、言ってみなさい。そういう言葉を誰でも三回は聞いてみたいのです。

 旦那さんが疲れきって、しおれきった格好でもって、子供とさんにって何とか慰めてほしいという思いでってきたのに、さんがの間から「誰ですか!」と、旦那さんが苦しいのも知らないで、三回言ってみなさい。今までの感情がみんな無くなってしまうのです。だから、そういうことをよく考えて、ちゃんと時間になった場合には、旦那さんを待ちながら、「あなたさま!」と言った場合には、もうそれ以上に嬉しいことはないのです。元が出るのです。そして、「やっぱり、家は天きだ!」と思うのです。(1993年12月21日)

朝の出勤時の妻の態度について、大母様も次のようにアドバイスされています。

夫が朝仕事に行くときも、ただ行かせてはいけません。行く前に手でも握ってから見送ってあげなければなりません。(2004年7月13日)

朝の出勤時における夫の態度についても、大母様は次のようにアドバイスされています。

 婦人の大部分は、夫が出かける時、抱いてくれることを願う妻がいるし、手を握ってくれることを願う妻もいるし、キスをしてくれることを願う妻がいるのです。そのようにしてあげましたか? していない人がもっと多いのですが、してあげたという人も、本に稀に一度だけですね。そうでしょう。それではいけません。その妻とその夫の手が、その熱い手が、一日中っているようにしなければなりません。そのようにしてこそ、自分の愛する妻ではない、他の女性は見えないのです。目に映らないのです。ですから、本にその暖かい手を握ってあげる、愛を感じることができるように抱いてあげる、キスをしてあげる夫にならなければなりません。(2002年1月28日)

 夫は妻にして、絶的な愛をえられる人にならなければなりません。特に統一教会の夫は、朝も無表情でいる夫がいます。この世の男性たちを見てください。そうではありません。朝でも愛する妻を、一度抱き寄せるような夫にならなくてはなりません。胸や手もってあげられる夫となってこそ、家庭でその愛を食べて生きる妻となるのです。その愛を食べて生きる人が妻なのです。その愛を食べたので、その日は一日中、誰のために?夫のために、子女のために生きるのです。夫たちはそれを知らないでいます。手を一度握ってから、一度抱き寄せてから出勤するとか、一度胸をってあげるとか、キスをしてあげるとか、そうすれば妻はその分でうっとりして、「私がこの世で一番幸せな女性だ」と考えるのです。そうですか、違いますか?(2002年3月27日) 

神山威元会長が真のお父様と一緒にダンベリーで獄中生活をされていた時に、囚人たちの夫人たちや家族が訪問して面会が許されている時間がありました。真のお父様は、お母様が訪問された時には、皆が見ている場所で、毎回夫婦で仲良くキスをされました。そして、神山先生にも、訪問された神山裕子夫人と、恥ずかしがらないで、皆が見ているところで、堂々とキスをするように命令されました。

神山先生がダンベリーの獄中生活で真のお父様から学ばれたことの一つに、夫婦の愛情表現の重要性ということが挙げられています。そして、面会日の神山先生ご夫妻の態度を観察された真のお父様が、先に出獄する神山先生に命ぜられたことの一つに、「食口たちに、夫婦間の愛情表現を、もっと公開的にするようにえなさい」ということが挙げられています。

私たちは、真の父母様の代身者・相続者として、真の父母様の愛情表現法を相続して、真の父母様のように夫婦が完全な一心・一体・一念・一和を完成することが期待されています。日本人の男性は、妻に対する愛情表現が下手な人や不足な人が、非常に多いようです。先天時代の日本社会(堕落社会)の既成夫婦の生活習慣を捨てて、真の父母様が模範を見せてくださっている、絶対夫婦の真の愛の生活習慣を学び、相続する必要があります。真の父母様は、私たちが最高に幸福な夫婦になるための真の愛の生活の仕方を、実際の生活を通して、教えて下さっています。

婦人たちに対しても、大母様は清平婦人40日修練会において、「夫に絶対に必要とされる妻」になるために、落世界における過去の生活習慣からすることの重要性について、次のように話されています。

 「ああ、照れくさい。私は性格上できない。」そんなことでは絶対変われません。どんなことをしてでもの家庭を築くために、妻が家庭を引っ張っていかなければなりません。そうしてこそ私たちは地上での家庭を作り上げ、界に行くときには、その姿でいけるのです。

 生活習慣というのは、たいへん怖いものです。地上でけんかして一つになれなかった場合、天に行ったからといって、すぐさま笑って過ごすことができますか。生活習慣というのは永遠であるため、もし私たちが天に行くとしても、地上での生活習慣が恐ろしいほど、そのまま適用されるので、神の前で孝子孝女になることができないのです。

 いつもお話しますが、地上での生活習慣をえていかなければなりません。(2004年7月13日)




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