<質問>増田先生は、どのような理由で、いつ頃から「性倫理」に関心を持つようになられたのですか?

 

<答え>私は、1973年の夏に渡米し、真の父母様から奨学金を出していただいて、米国ニューヨーク州の統一神学校(UTS)とカリフォルニア州のバークレー神学大学院連合(GTU: Graduate Theological Union, Berkeley) を卒業した後、ロサンゼルスの南カリフォルニア大学(USC)の大学院博士課程で、宗教学部に所属して「社会倫理学」を専攻しました。社会倫理学の専攻内容は、キリスト教倫理神学を中心としていましたが、20世紀の後半以後の現代のキリスト教倫理学では、「性倫理」が非常に重要な研究分野になっています。

社会倫理学とキリスト教倫理学の中で、現在でも米国で一番熾烈な論争が展開されているのは、「性倫理」に関連する分野です。街頭デモや流血事件が起きるほど激しい論争が展開されてきたテーマを例として紹介すれば、「人工中絶の是非」「同性愛行為の是非」「純潔の絶対的重要性の是非」「性教育の是非」等です。

妊娠中絶は、殺人行為であるから、そのような殺人行為を毎日実践する医者を殺したり、中絶手術をするクリニックを破壊することは、正当化されるという論理で、医者の殺人事件や中絶クリニックの爆破事件までも米国では発生しました。そのように、この世では、「性倫理」に関する善悪の判断基準は混沌としていて、非常に感情的な激論が展開されています。

そのような論争で激しく対立する両陣営、あるいは複数の陣営の見解に接する度毎に、「では、私たち祝福家庭は、どのように判断したら良いのだろうか?」「真の父母・メシヤであられる文鮮明先生は、どのように判断されておられるのだろうか?」と、「性倫理」に対する関心が、私の大学院時代から非常に高まりました。

1994年5月からは、世界的に「世界平和統一家庭連合」の時代に入り、真の父母様の御言の中でも、「夫婦の性生活」と「性倫理」に関連する内容が大変に多くなり、私たちが驚くほど具体的に的確な答えを提示して下さっています。さらに、1995年から始まった清平修錬苑の修練会における大母様のみ言葉の中でも、祝福家庭の「性生活倫理」に関連する内容が少なくありません。

祝福家庭の具体的な「性倫理」に、私が学問的に特別な関心を抱くようになったのは、鮮文大学の教授として赴任した1994年頃からです。ちょうどその頃から、真の父母様の御言の中でも「夫婦生活」と「性倫理」に関する内容が非常に多くなり、大母様を通しても、清平修練会において「夫婦生活」と「性倫理」に関連する内容が多く語られるようになりました。例を挙げれば、真のお父様は、1994年10月に夫婦の性生活の重要性に関して、次のように語られています。

 

女性は凹であり、男性は何ですか。(「凸です。」)これは永遠に離れることができないのです。それを合わせて、回って暮すのが夫婦生活です。今、何と言いましたか。それを合わせて、回って暮すのです。

……それが一つになる所で父母の喜びがあり、子女の喜びがあり、夫婦の喜びがあり、兄弟の喜びがあるのです。

皆さん、夫婦生活がうまく合わなければ、兄弟たちが心配するでしょう。父母が心配するでしょう。妻がそうなら夫が心配し、息子・娘が心配するのです。これが百パーセント合い、永遠に回らない限り、その家庭に永遠なる幸福は定着しません。自由もここからなされるのです。これがすべての幸福と不幸の根源です。これが合わなければ不幸です。不幸なら地獄に行くのです。地獄になぜ行くのでしょうか。これが合わなければ行くのです。真の愛を中心として合うようになっていますが、合わなければそれに比例して蹴られるので、日陰の世界に行くのです。行ってみなさい、間違いないのです。(1994年10月4日)

 

私は1994年春に米国から韓国の鮮文大学に赴任して、UTSで担当していた「宗教社会学」の分野だけではなく、「統一倫理学」の分野も担当するようになりました。それゆえ、私が鮮文大学に移ってからは、祝福家庭の具体的な「性生活倫理」に強い関心を持って研究をするようになりました。

そのようなわけで、私が鮮文大学出版部から2003年に最初に出版した『統一倫理学講座・第2巻』の中でも、「性生活倫理」が重要なテーマになっています。本書においても、夫婦生活の性倫理に関連する内容が、多く収録されています。




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